藤野ライトハウス
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ネパール滞在記・最終章
初めてのネパール。
ネパールは元より、アジア圏を訪れる事自体、初めての事です。
後にも先にもこんな経験二度とない?と思えるほど、貴重で濃密な12日間でした。
パートナー生産者の方々に直接お会い出来た事、そして製品を作る現場に立ち会わせて頂いた事は、製品への愛着と思い入れをより一層深められた事がとても嬉しかったです。
ネパールの奥地にあるコーヒー生産地シリンゲ村では、まだまだ課題はあって発展途上ながらも、未来への希望のかけらが幾つも転がっている事を感じとり、私は成長して行く村のこれからがむしろとても楽しみに思えました。
そして村に辿り着くまでの、険しい道のりを往復した経験は、一生忘れることはないでしょう!
地震の影響を受け、働きにくい環境を強いられながらも、前向きに仕事を続けるパートナーたちに出会い、これからも繋がり、支え合って行きたいと心から思いました。
やっぱり、会う事って、本当に大事だなって思いました。
ネパリ・バザーロ(以下ネパリ)から教育支援をうける奨学生達との出会い、そして彼らに丁寧に向き合い、きめ細かなサポートをするネパリ独自の教育支援を実際に見て感じたのは、ただ奨学金を渡すのとも、ただ学校を建てるのとも違う、顔の見える未来への投資なのだということです。
そして、本当の支援とは何か、そもそも支援とはどういうものなのか、それは日本で仕事をしていた時には得られなかった気付きでもありました。
そして、大地震に見舞われた、被災地としてのネパール。
今回のネパール訪問の中で、被災地を訪れ、被災した人々に会う事は、私にとって相当に重みのあるミッションでした。
私の初ネパールが、まさか被災した村や避難キャンプを回り歩くようなタイミングになるとは、夢にも思っていませんでした。
と言うのも、、、
かねてから仕事を通じて関わり始めたネパールに、私もいつかは訪れたいと思っていました。
3.11が発生し、その直後からネパリは東北支援活動を始めます。
実は私は岩手の三陸出身で、この時、私の実家も被災しました。
よってネパリ在籍中からこれまでの間、公私ともに微力ながらその活動を続けてきました。
そこに今度はネパールで大地震です。
仕事で深く関わりのある国、ネパールです。
震災直後は、なぜ私にとってこんな身近な存在である場所が、たて続けにこんな目に遭うのかと、気持ちが滅入りました。
けれど、こういう経験は誰もが出来るわけではない。
この2つの震災は、私にとってきっと意味があり、多くの学びを与えてくれるはずだから、この経験を生きる力に変えなければ!と思うようになりました。
ネパールでは、幾つかの被災地を訪ね、支援物資を配りながらその様子を見て回り、想像を遥かに超えた過酷な環境での暮らしを強いられている様子があまりに衝撃で、感じたこと、思ったことが、その直後はうまく言葉に出来ない程でした。
たとえ国の事情が違っても、同じ時代に生きていて、ここまで差があっていいものなのか!?と思うほど。。。
印象に残っているのは、水問題です。
地震によって、これまで守られてきた水源の位置がずれて、水が来なくなってしまうという現象に見舞われる地域があったり、水不足は生活に深刻な影響を与えていました。
コーヒーの産地シリンゲ村の1番高地にあるバイラトンという地区も同じ問題に見舞われ、そこにはネパリが復旧支援に入って、ようやく水が確保出来るようになったけれど、私たちが訪問した他の村では、未だに設備が整っていない所が実際にありました。
人が生きるために最低限でも必要な水、その水の設備が半年以上たった今も整っていない現状が、とてもショックでした。
元々経済的に苦しい国で災害が起きると、復興の道のりは並大抵ではない事、そしてこういう時一番被害を被るのは、支援が届きにくい遠隔地や、身体的・精神的ハンディを持つなど、立場の弱い人々である事はどこの国も共通です。
ただネパールはカーストの影響を受け、ダリット(不可触民と言われる人々)など階級の低い人たちは、益々厳しい生活環境に追い込まれる可能性が高いことなど、日本の事情とは違う問題も存在する事を知りました。
地震が起きる以前から生活が困窮している人は、一層自立へのモチベーションが下がるという負のスパイラルが生まれてしまいます。
元々の生活に最低限でも備えがあったり、自立出来ているかがとても大事な事で、その根底を見つめて必要な支援を続ける事の重要性を改めて感じました。
そもそもの生活の自立に繋げるという点において、フェアトレードの活動はやはりとても意義深い取組だと感じました。
貧困、戦争、環境問題、、、、多くの問題が、今、私が生きるこの時代に共存していて、全てが複雑に絡み合い、到底すぐに解決など出来ません。
でも、どうしたらいいのー?だけでも前に進めません。
結局、人と人が思いやり、丁寧に向き合う事。。。
その小さな積み重ねこそが、確かな信頼関係だったり、一歩踏み出す勇気だったり、生きる力となり、そしてそれぞれの自立に繋がって行くのだと感じたのです。
即効性はなくても粘り強く続けるという事が大切で、フェアトレードを真の意味で続けるのは本当に大変な事だけれど、その成果は確実に形となる事を、肌で感じ取れたネパールの旅でした。
ある人が「愛の反対は、無関心」と言うのを聞いた事があります。
日頃、何かと自分の事で精一杯になりがちな私自身でもあるけれど、決して自分一人で生きているわけではない事、お互いに支え合いながら存在している事を意識して、日々の暮らしを本当の意味で豊かにして行きたいと思いました。
多くを学ばせて頂いたネパール滞在。
この仕事はいつも、大切な事は何?と立ち返るきっかけを与えてくれます。
私はこれまでの経験において感じた事、学んだ事を無駄にしないように、大切に自分の中で育み、これからも地道に、そして明るく楽しく!この仕事を続けて行きたいと思います。
モノを通して繋がり、暮らしを支え合う喜びを伝えるために。。。
ネパール滞在記
終
追記
今回ネパール訪問という貴重な経験をさせて頂く機会を下さったネパリ・バザーロの皆様には、心から感謝申し上げます。

マハグティのワーカーさんたち
地震にも負けない、強くしなやかな女性達

まだ瓦礫の片付かないカトマンズの街角

これからもその成長を見守り続けたい
児童養護施設の子供達と

私をネパールに連れて行ってくれた、強くて優しい
大切な仲間達
ネパールは元より、アジア圏を訪れる事自体、初めての事です。
後にも先にもこんな経験二度とない?と思えるほど、貴重で濃密な12日間でした。
パートナー生産者の方々に直接お会い出来た事、そして製品を作る現場に立ち会わせて頂いた事は、製品への愛着と思い入れをより一層深められた事がとても嬉しかったです。
ネパールの奥地にあるコーヒー生産地シリンゲ村では、まだまだ課題はあって発展途上ながらも、未来への希望のかけらが幾つも転がっている事を感じとり、私は成長して行く村のこれからがむしろとても楽しみに思えました。
そして村に辿り着くまでの、険しい道のりを往復した経験は、一生忘れることはないでしょう!
地震の影響を受け、働きにくい環境を強いられながらも、前向きに仕事を続けるパートナーたちに出会い、これからも繋がり、支え合って行きたいと心から思いました。
やっぱり、会う事って、本当に大事だなって思いました。
ネパリ・バザーロ(以下ネパリ)から教育支援をうける奨学生達との出会い、そして彼らに丁寧に向き合い、きめ細かなサポートをするネパリ独自の教育支援を実際に見て感じたのは、ただ奨学金を渡すのとも、ただ学校を建てるのとも違う、顔の見える未来への投資なのだということです。
そして、本当の支援とは何か、そもそも支援とはどういうものなのか、それは日本で仕事をしていた時には得られなかった気付きでもありました。
そして、大地震に見舞われた、被災地としてのネパール。
今回のネパール訪問の中で、被災地を訪れ、被災した人々に会う事は、私にとって相当に重みのあるミッションでした。
私の初ネパールが、まさか被災した村や避難キャンプを回り歩くようなタイミングになるとは、夢にも思っていませんでした。
と言うのも、、、
かねてから仕事を通じて関わり始めたネパールに、私もいつかは訪れたいと思っていました。
3.11が発生し、その直後からネパリは東北支援活動を始めます。
実は私は岩手の三陸出身で、この時、私の実家も被災しました。
よってネパリ在籍中からこれまでの間、公私ともに微力ながらその活動を続けてきました。
そこに今度はネパールで大地震です。
仕事で深く関わりのある国、ネパールです。
震災直後は、なぜ私にとってこんな身近な存在である場所が、たて続けにこんな目に遭うのかと、気持ちが滅入りました。
けれど、こういう経験は誰もが出来るわけではない。
この2つの震災は、私にとってきっと意味があり、多くの学びを与えてくれるはずだから、この経験を生きる力に変えなければ!と思うようになりました。
ネパールでは、幾つかの被災地を訪ね、支援物資を配りながらその様子を見て回り、想像を遥かに超えた過酷な環境での暮らしを強いられている様子があまりに衝撃で、感じたこと、思ったことが、その直後はうまく言葉に出来ない程でした。
たとえ国の事情が違っても、同じ時代に生きていて、ここまで差があっていいものなのか!?と思うほど。。。
印象に残っているのは、水問題です。
地震によって、これまで守られてきた水源の位置がずれて、水が来なくなってしまうという現象に見舞われる地域があったり、水不足は生活に深刻な影響を与えていました。
コーヒーの産地シリンゲ村の1番高地にあるバイラトンという地区も同じ問題に見舞われ、そこにはネパリが復旧支援に入って、ようやく水が確保出来るようになったけれど、私たちが訪問した他の村では、未だに設備が整っていない所が実際にありました。
人が生きるために最低限でも必要な水、その水の設備が半年以上たった今も整っていない現状が、とてもショックでした。
元々経済的に苦しい国で災害が起きると、復興の道のりは並大抵ではない事、そしてこういう時一番被害を被るのは、支援が届きにくい遠隔地や、身体的・精神的ハンディを持つなど、立場の弱い人々である事はどこの国も共通です。
ただネパールはカーストの影響を受け、ダリット(不可触民と言われる人々)など階級の低い人たちは、益々厳しい生活環境に追い込まれる可能性が高いことなど、日本の事情とは違う問題も存在する事を知りました。
地震が起きる以前から生活が困窮している人は、一層自立へのモチベーションが下がるという負のスパイラルが生まれてしまいます。
元々の生活に最低限でも備えがあったり、自立出来ているかがとても大事な事で、その根底を見つめて必要な支援を続ける事の重要性を改めて感じました。
そもそもの生活の自立に繋げるという点において、フェアトレードの活動はやはりとても意義深い取組だと感じました。
貧困、戦争、環境問題、、、、多くの問題が、今、私が生きるこの時代に共存していて、全てが複雑に絡み合い、到底すぐに解決など出来ません。
でも、どうしたらいいのー?だけでも前に進めません。
結局、人と人が思いやり、丁寧に向き合う事。。。
その小さな積み重ねこそが、確かな信頼関係だったり、一歩踏み出す勇気だったり、生きる力となり、そしてそれぞれの自立に繋がって行くのだと感じたのです。
即効性はなくても粘り強く続けるという事が大切で、フェアトレードを真の意味で続けるのは本当に大変な事だけれど、その成果は確実に形となる事を、肌で感じ取れたネパールの旅でした。
ある人が「愛の反対は、無関心」と言うのを聞いた事があります。
日頃、何かと自分の事で精一杯になりがちな私自身でもあるけれど、決して自分一人で生きているわけではない事、お互いに支え合いながら存在している事を意識して、日々の暮らしを本当の意味で豊かにして行きたいと思いました。
多くを学ばせて頂いたネパール滞在。
この仕事はいつも、大切な事は何?と立ち返るきっかけを与えてくれます。
私はこれまでの経験において感じた事、学んだ事を無駄にしないように、大切に自分の中で育み、これからも地道に、そして明るく楽しく!この仕事を続けて行きたいと思います。
モノを通して繋がり、暮らしを支え合う喜びを伝えるために。。。
ネパール滞在記
終
追記
今回ネパール訪問という貴重な経験をさせて頂く機会を下さったネパリ・バザーロの皆様には、心から感謝申し上げます。

マハグティのワーカーさんたち
地震にも負けない、強くしなやかな女性達

まだ瓦礫の片付かないカトマンズの街角

これからもその成長を見守り続けたい
児童養護施設の子供達と

私をネパールに連れて行ってくれた、強くて優しい
大切な仲間達
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